モノが溢れかえっている現代社会。奇異性を求めればどんなものでも、何色にもすることが出来るよう
になりました。まちを歩いてみれば赤い壁の家や絵の具のような黄色、派手な緑の塀もチラホラ見掛け
ます。そうした家主様も当初は良くとも、暫くその中に暮らしてみれば言葉には出来ない「おかしいな」
という思いは出てくるはずです。
まちの景観のなかで多数を占めているのは家屋や塀などの人工物です。我々日本人は古来よりその場にあ
る自然物を使って家屋や塀を建ててきました。そうしてきたことで自然と折り合いが付いた美しい景観が
生まれ、われわれは其所を「ふるさと」としてきたのです。日本の現代社会でその「ふるさとの色彩」を
ルールとするならば、人工物は「背景」であるべきなんです。人が何よりも魅せたいのは其所で営まれる
「人の暮らし」そのものであって、家や塀では決してありません。「植栽」「自然」はその助役であり脇
役となるのです。
家屋や塀が公共物ではない以上、それらの色彩を決めるのは家主さまです。だからこそ、各自治体やご近
所での話し合いの場というのが是非とも欲しいところです。「住民同士のコミュニティを充実させる事」
これがけっきょく何事にも大切なのだと、僕も書いていてしみじみ思ってしまいました。
まちの色彩にバランスが出来あがるまでには、気の遠くなるような時間が掛かる事でしょう。ですが子供
や孫達に「いつか帰れる。胸に焦がれる故郷」を残してやれるのは、われわれ「大人」だけなんです。